私のU4履歴書 1/3

前のブログにも書きましたが、先月発売された「U4」(400cc以下限定のバイク雑誌)で、「私のU4履歴書」という自叙伝を書きました。こんなにいっぱい自分語りを書いたのははじめてなので、もう発売から1ヶ月たったことだし、せっかくだから原稿を公開しちゃいます((^┰^))ゞ テヘヘ

あんまり長いから、3回/3日に分けて投稿しますねw

私のU4履歴書 1/3



P1~2

PH01(メインカット)


大塚正樹

リード
この原稿を書くにあたって思い出してみたら、実は自分は「強い思い入れがあってバイクを買ったことがない」ということに気づいた(笑)。でも、そんなバイク達との出会いが自分の人生を大きく変えてきたことにも、やはり気づいた。つくづく自分はバイクありきの生き方なんだな、と


中見出し
初レース、初池ポチャで、どっぷりとバイク人生にハマりましたぁ!



小見出し
新潟大学オートバイ部よ
永遠なれ!


本文
本文
「Gunsmithバトン・オーツカ メタボリックMASA」いままで自分がやってきた仕事の芸名を繋げるとこうなります(笑)。その仕事達は、バイク履歴に密接に関わっているのです。

 はじめてのバイクは高校1年生のとき、MTX50Rでした。当時、バイク自体に興味があったというより、足として欲しかったんです。そのときは新潟に住んでいましたが、中学まで栃木県の宇都宮にいて、友達に会いに行くためのツールとしてバイクを選んだ事がきっかけでした。新潟から宇都宮まで300km、原付にとっては結構な距離があるので、NS50Fと悩んで、車体が大きなMTX50Rのほうにしました。バイク雑誌も読んでないし、なんの知識もないにも関わらず、買ってすぐに宇都宮までツーリング。そのときオイルランプが付いてガソリンスタンドに飛び込み「ほらここにオイルって書いてあるから入れてください!」って、クランクケースのミッションオイルのキャップを指さしたのは、いまでも赤っ恥です…。
 高校時代は、ちょっと長い休みがあるとしょっちゅう宇都宮までMTX50Rで行ってました。朝のほうが道が空いているので、夜中の3時ぐらいに新潟を出て、途中、給油以外は1回しか休憩しないで走り、宇都宮に9時ぐらいについて友達と遊ぶって感じです。一度、大失敗したのは春休みに行ったとき、「3月だからもう大丈夫だろう」って油断していたら、新潟に帰る前日に大雪が降ってしまい、いつも使っている福島の山道が積雪あり…。「まあ、なんとか行けさ」って気軽にチャレンジしたのですが、峠のカーブ毎に転倒する有り様。もちろん時速10km/h以下ぐらいでしか走れませんが、それでもついに坂を登れなくなって、その峠をあきらめ、超大回りして大きな国道を走りついで帰りました。雪ってすんごい滑るんですね(笑)。ろくな防寒装備もないし、12時間ぐらいかかって「涙目ってのはこういうことか!」とわかりました(笑)。
 とはいえ若借りし頃は懲りることもなく、体力も無尽蔵にあるので、MTX50Rでは最高で1日500kmのツーリング(新潟から能登半島一周)に出たりして、かなり走りこみましたね。でもツーリングで距離は走りましたけど、MTXだからっていってオフロードには別に興味なかったんです。「凸凹のタイヤが付いているから、土の上も走れるんだ」ぐらいの認識。それが一変したのは大学に入ってから。「地元の国立に一発で合格したら、バイク買ってよ!」って親におねだりして、XLR BAJAをゲット。これも別にオフだからというより「ライトが2つで明るそうだから」ってぐらいの認識でした。そして、大学入学、いまはもう廃部になってしまったんですけど、新潟大学のオートバイ部に入りました。
 入部したのは90年、そうKDX200SRが出て、世はエンデューロブーム真っ盛りです。先輩のオフ乗りの方に砂浜に連れていかれたりして、取り敢えず開けっぷりだけは良かった私は、入部して一ヶ月でレースに誘われました。そのレースは、キャンパス オフロード ミーティング。学生のためのモトクロス・エンデューロレースで、当時は毎回100台オーバーのエントリーがありました。最初のレースは桶川スポーツランド(その後、HARPに改名、その後、閉鎖…)、先輩と組んで、先輩のXLRを借りているのに、なぜか初レースの自分がスタートライダー。もう、キンチョーしまくり、テンパりまくりで、頭のなか真っ白。見事、2周目で池ポチャしました…。3時間のレース中、2時間半は、エアクリーナーを乾かしたり、プラグを交換したりと整備に費やされましたが、最後に少しだけ先輩が走れたのが救いでした。
 これですっかりオフにハマりました。この池ポチャで、その後の人生が決定づけられたようなものです(笑)。自分のBAJAをレース仕様にしてエンデューロに出るのはもちろん、知り合いの知り合いから、6年落ちのモトクロッサー86YZ250を3万円で譲り受けて、モトクロスにも挑戦。まあ、ここでも初めてのMFJ新潟県大会、練習走行のときダブルジャンプで吹っ飛び脳震盪、即リタイヤ、でしたけどね(笑)。大学時代はオートバイ部でレースに出まくり、キャンオフでは90分クラスをソロ走って優勝し、スポーツ新聞に載ったことが自慢! 本当は90分クラスは初心者向けなんですけど、自分は3時間では入賞経験がなかったし、マシンも新潟大学オートバイ部のテントに転がっていた不動のDT125LC(三角スイングアームのやつ)をレース前日に、チャンバーの穴を溶接して直しただけのもので、最新のKDX125SRとかと闘ったんですからご勘弁下さい(笑)。当時はバブリーでキャンオフに出光興産が協賛についていて、参加者にガソリンやオイルを配りまくってくれたり、スポーツ新聞が取材に来て、裏1面で掲載されたりしてたんですよ。そうそう、新潟大学オートバイ部は、キャンオフの年間ランキング10位以内に入って、神宮球場で開催されていたジャパンスーパークロスの舞台を、自分も大学対抗リレーで走れたのもいい思い出です。
 そしてレースだけでなく、ツーリングも盛んに行っていて、もちろん毎年、夏には北海道。ときはミツバチ族まっさかりのブームで、すれ違いで交わすピースサインで左手が疲れるぐらいでしたね。もちろん、ライダーズハウスもありましたけど、その500円、1000円をケチッて、基本キャンプで出来る限り安く上げようと、BAJAに山ほど荷物を積んで走っていました。ちょうど新潟からフェリーが小樽に出ますし、大学の生協で買うと学割が聞いたので、確か往復バイク込みで1万7000円ぐらいでしたね。それまで本州しか走ったことのない自分にとって、北海道は別世界、「国内でこんなに素晴らしいなら海外はどんなだろう?」ってエスカレートして、91年には大学を休学してオーストラリア1周ツーリングに出ました。これはKLR650天涯だったんで、U4履歴書の範囲外ですけどね(笑)。半年、道路のライン引きのバイトして、150万円貯めて4ヶ月走ってきました。当時は「地球の歩き方 オーストラリアツーリング」という本が出ているくらい、海外ツーリングも盛んだったのです。だいたいオーストラリアの荒野をツーリングしているのなんて、ほぼ日本人だけで(笑)、オージーに話すとたいがい「クレージー!」って言われる感じでした。ガソリンスタンド&キャンプサイトが200km、300kmに一箇所、というような世界ですから、ツーリングしていると、何度も同じ人に会ったり、「あの人はいま、あのあたりにいるって」というように、ツーリングしているライダーの社会は狭かったのです。当時、アウトバックで通じる携帯電話なんかありませんから、クチコミがすべて、でも、それでなんとかなるもんなんですよね。これに味をしめて94年にも休学して、アメリカ・カナダ・メキシコの北米ツーリングに行っています(DR650SE)。
 オフロード三昧ですけど、ロードに興味がなかったわけでもなくて、Goose350を衝動買いしたりもしました。基本的にバイクならなんでも好きなもので(笑)。そんなこんなでひたすらバイクに乗り続けた大学時代でした。講義の合間には部室に入り浸って、ひたすらバイク談義と整備の毎日。ちょっと時間があるときはシーサイドラインという海沿いの道を走って、寺泊(角上魚類など、魚屋さんが集結している観光地)までいき、浜焼きを食べるのが定番でした。バイクの乗り方から整備まで、すべて試行錯誤して、自分で覚えていったもので、よくミスもしましたよ。フロントタイヤ交換をしたときに、アクスルシャフトが入らなくて、メガネレンチに鉄パイプをかまして、無理矢理締めこみました。結果、そのあとの林道ツーリングでアクスルシャフトが折れて転倒。フロントフェンダーからタイヤが斜めに出ていて、一瞬、なにが起こったのかわかりませんでした(笑)。
 そのアクスルシャフト破損のときもですけど、自分のBAJAは電気系の不調でよく不動になったので、ツーリング途中でリタイヤして置いてくることが結構ありましたね。もうさっさと諦めてBAJAは道端に置いて、タンデムで帰ってくるのです。で、次の日にトランポで回収する、と。オートバイ部にもボロボロのホーミーが部車としてありましたが、やっぱりレースをしていると自分のトランポが欲しくなるので、メインカットに写っているファーゴを格安で購入。たしか車体価格19万円、もちろんエアコンなし、【ハンドパワー】ウインドウです(笑)。ガソリン4駆でコラムマニュアル4速だったんですけど、4駆のローとハイがありますから、峠では「よっしゃ、8速モード! なんぴとたりともオレの前は走らせねぇ」って、なかのバイクや荷物をガチャガチャいわしながら、無駄にタイヤを鳴らしていました(笑)。写真のようにファイヤーパターンに缶スプレーペイントしてましたから、当時のキャンオフでは有名なクルマでしたよ。
 そうして大学時代、ずーっと相棒だったXLR BAJAは、3万kmでオーバーホールしましたが、5万kmを目前にして、エンジンブローで廃車となりました。そのときは自分はもう一台持っていたBMW R100RSに乗っていて、友人にBAJAを貸して一緒にツーリングしていたんです。自分の手で最後を看とれなかったのは残念でした。


PH02(広報写真 90BAJA)、PH03
HONDA
XLR BAJA

当時はオフロードバイクといえば2ストトークで、4ストロークはツーリングライダー向けか、ファンライド向け、というのがセオリーだった。自分はそんなことも知らずに、ライトの大きさに惹かれてBAJAを購入。このヘッドライトが転倒でよく壊れて、確か3回ヘッドライトガードを交換、ヘッドライット自体も2回交換。ガードは1万7000円ぐらいして、大学生の財布には痛かった。でも、この形が好きだったから、XLR250Rのヘッドライトにしようとは思わなかったけど(笑)。写真は北海道ツーリング。オフ乗りだけど、革ジャン好きだったのだ


PH04(広報写真、89YZ250)、PH05
YAMAHA
YZ250

86YZ250を3万円で買ってしばらくして、今度は89YZ250をまた3万円で購入。なんで3年も違うのに同じ値段!? ってなるけど、バイクの値段というより、「金の無い学生に知り合いが安く売ってくれる」というときの相場が3万円だったのかな(笑)。普通はモトクロスを始めるとき、125クラスからなんだろうけど、それがあったからという理由で、いきなり2スト250。モトクロッサーに初めて乗ったとき、あまりの加速に景色が溶けていく感覚を初めて味わった。パワーと軽さと足まわり、すべてのレベルが公道マシンと違う、レーサーの凄さをインプリンティングされました

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更新日時:2010年03月11日21:31 │バイク


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